斉藤文春

塩竈市内の『シェ ヌー』『メロディーズ』など街で見かける味のある手書き文字。ここに斉藤文春さんの書家としてのもう一つの顔がある。自身の表現活動の追究と同時に、塩竈の街にアートの風を呼び込む可能性も追い求めている。その個性的で情熱的な生き方の一端を伺った。

書をライフワークに選んだ理由

斉藤文春塩竈市在住の書家・斉藤文春さんは、中学校入学と同時に塩竈へ転居。中学高校と卓球にのめり込み、大学からもスカウトされるほどの名選手だった。「大学で続けるということは、全国を目指し卓球に専念しなければならないということ。もう、自分の中ではそれほどの情熱はありませんでした。そこで、小学生から好きだった書道の道を選択したんです。それに、当時は大学紛争まっただ中で、政治や社会へ疑問を持ちながら自分の生き方を探るという時代だったので、自分らしい生き方とは何かということを考えた時に、「書」というものをライフワークにしていきたいと思い始めたんです。そこが、原点といえるでしょうね」

大学卒業後、斉藤さんは塩竈市役所で公務員として勤務する。「市役所を選んだのも、地域の暮らしに関わりたいと思ったから。そして、地元にしっかりと根を下ろしライフワークである「書」に取り組んでいきたいと思ったからなんです」。以来、40年余、自分らしい表現を、試行錯誤を重ねながら探し続けてきた。

墨の抽象作品で新しい表現の可能性を探る

斉藤文春斉藤さんの作品は、濃淡の異なる墨の『点』や『線』を無数に描き、風や光を表現した抽象的な作品が多い。「いろいろな墨の表現というものがあるわけですが、私の場合はできるだけシンプルで素朴なディテールでありながらも、そこから豊かな表現世界を実現する事ができないだろうか、というのがテーマといえます。

筆使いの経験や技術があると表現の幅がいかようにも広がってきます。なんでもできるようになるんです。しかし、そういう方向に少し疑問を感じ、文字のイメージや既存の形式、約束事を超えて、最小単位である『点』と『線』の有り様で新しい表現世界を作ろうと思ったんです」。

日常的な動きやリズムを「書」に吹き込む

斉藤文春以来、斉藤さんはこの発想で約40年制作している。もちろん、必要な技法というものもある。筆を使うとなれば、どのように使いこなすかとう修練も必要になる。「自由に表現していいよ、と言われても、基本的な技術がなければ成立しないですよ。ただ、かといって、同じような手本で学んで結果として先生のコピーのような作品になってしまうと、表現をするという基本から離れていってしまうことになるんです」

斉藤さんの場合、より自分らしい表現をするために、日常的な動きやリズムを取り入れることが多いという。「例えば、呼吸のリズムを変えてみたり、歩幅や手の振りの調子を変えたり、そういう動作の感覚を意識して、そうした動きも筆に反映させようと考えています」

一方、斉藤さんはもっと生活の場に書などの文字表現が積極的に入っていくべきなのではないかと考え、塩竈市などのお店のロゴマークや商品のパッケージ、演劇や映画のチラシなどの制作にも関わってきた。

手書き文字で、町の個性を作りたい

斉藤文春昨今、パソコンなどの情報媒体が発達し、手で書くという必要性があまりなくなってしまった。そういう時代だからこそ手書き文字を通して元気さや明るさを伝えていきたいと斉藤さんは言う。

「かつて手紙やさまざまな記録、あるいは道徳心や宗教的な教えなどを伝えていくために掛け軸や巻物、折帖が出来ました。手書き文字が大きな力になっていたんですね。手書き文字は、見る人に情報プラスアルファな効果があると思うんです。お店の看板、コピー、パッケージ等、普段日常で目にするものに書家はもっと関わっていいと思っていますし、いろいろな表現の可能性もあるので、それぞれの個性が街の装いを豊かにしてくれると思うんです。そういう面で地域の活性化に少しでもお役に立てたらいいなと思っています」

text:落合次郎 photo:大江玲司 取材日:2013年6月26日

プロフィール

斉藤文春
  • 斉藤文春(さいとう ぶんしゅん)
  • 1951年、北海道函館市生まれ。父親の転勤で中学進学と同時に塩竈市に転居。塩竈二中、仙台三高を経て東北学院大学経済学部を卒業後、塩竈市役所に入所。大学時代に書道研究部に所属し、書の創作に興味を持ち、打ち込み始める。これまで20回の個展をこなし、また塩竈市内のお店のロゴや映画・演劇のタイトル文字なども手がける。
  • 書のアトリエ 斉藤文春:塩竈市母子沢町6-13