
独自のスタイルで書と向き合う塩竈市在住の書家・鎌田直衛さん。このほど2年振りという個展を開催。改めて鎌田さんの書への思い、そして地方で取り組む表現活動の意味についてお話を伺った。
個に徹し、自分から湧き出てくる思いをすべて表現したい
小学1年生から喜山社(故・青木喜山先生)にて学び始めたのが、鎌田さんと書との出会いだった。「塩竈で生まれ育ち、普段の生活を営みながら書とつきあい続けてきましたが、本格的にやってみようと思ったのは20歳くらいの時でした。
青木先生のすすめで河北書道展などに出品し、賞をいただいたりしていましたが、続けていく中で、自分と書の関わり方について考えるようになったんです」書の世界というのは、お弟子さんに教え社中を作り、いろんな関係性の中で展開していくというのが一般的だ。「作品がどうのこうのという議論の前に、どこのどの人が書いたからいいのだという評価に重きを置く風潮がありました。
そこに疑問を感じたのと、もともと集団行動が苦手だったこともあり、自分なりの創作活動をしていこうと思い立ったんです」
地方に生きているからこそ、できる表現がある
震災後、多賀城にある東北歴史博物館で東北の仏に関する展示があり、それを見た鎌田さんは、より自分の創作活動の方向性をはっきりさせた。
「そこには、地元の大工が作った仏さまなども展示されていたのですが、粗削りで洗練されてはいないのですが、それなりの味わいがあり、かつ地方に生きて、地方に徹しきっている強さみたいなものを感じました」それは、もちろん中央のコピーではない、さらに名だたる作家のコピーでもない。オリジナルだということに意味があるのだ。
「洗練されて拍手をいただくような作品はみなさんが作れるかもしれないですが、地方に生きる我々は、そうじゃないところで勝負しなくちゃならない、それをやるためには群れていては限界がある。個に徹するしかない。ひとりだからこそ、いろいろ考えてやれるのではないかと思っています」
作品だけではなく展示にも自分なりのこだわりをもつ
鎌田さんが現在手がけている書は一字書と漢字かな交じり書というものが主体。
展覧会では、展示方法等にも自分なりの個性を出すようにしているという。「表現まではしても額装は表具店に、展示はその道のプロにおまかせという人が多い。私はできるだけ自分の考えを表具店などに伝え、軸装も見直して、表現形式として屏風を使用するなどさまざまな新たらしい展示方法を試みてきました」
最近では、立てられないほど大きい作品に関しては床に置くという方法も取り入れた。床に置くというのは書道展ではあまりみられない展示方法だが、「中国には磨崖といって岩場に削った書とか絵とかも存在します。また、故・池田満寿男氏の展示会で10m×20m大の般若心経を書いたものを、階段の上から見るという展示も実際この目にしました。こういうのも面白いと常々思っていたのでやってみようと思ったんです」
現代では、パフォーマンスとかワークショップも新たな展示方法として確立されているが、「それは体力的にもできないので、せめて単純に見るのではなくて、展示方法に工夫しようということですね」
若い人たちが安心して表現できる土壌をつくりたい。
もっと自由に既成概念を超えて、書というものを表現していきたい。それが鎌田さんの創作活動の肝にある。
「現在、大学生を指導していますが、今の若者はけっこう保守的ですね。書という枠にはまっちゃうとそうなる。例えば服を選ぶにしても靴を選ぶにしても自由に選びますけれど、書の表現に関しては、伝統的観念から抜けられない。もっと自由に表現しても良いんだよということを私が実践することで、若い人たちにももっと可能性があることを示していけたら良いと考えています」
text:落合次郎 photo:大江玲司 取材日:2016年3月31日
プロフィール
-
- 鎌田 直衛(かまた なおえ)
- 1948年 宮城県塩竈市に生まれ、在住。青木喜山・森田子龍に師事。現在 河北書道展審査会員。東北学院大学 書道研究部講師を務める。
- 宮城県芸術祭展・河北書道展受賞。宮城書作家50人展・みやぎの書60人展出品。書 in 宮城2001年第一回展より連続出品。