2017年6月、「多賀城&塩竈まち歩き企画第一弾」として、松尾芭蕉の『おくのほそ道』にちなんだまち歩きツアーが開催された。多賀城市・塩竈市の芭蕉ゆかりの地を歩いた後は、塩竈から松島へ船で渡ったという芭蕉に思いを馳せての島巡り。島巡りツアーのガイドを担当したのは今年84歳になる佐藤健太郎さんだ。
ノリ養殖業から観光船の船長へ
佐藤健太郎さんは1933年9月、塩釜市宮町に生まれた。生家のすぐ近くには、鹽竈神社の別当寺・法蓮寺の書院であった「勝画楼」があり、その周辺は幼い佐藤さんの遊び場だった。佐藤さんの父親は、港で漁獲物の搬送に携わりながら、冬場を中心にノリの養殖を営んでいた。
佐藤さんは10代の半ばでノリ養殖の仕事に就いた。30代の頃、松島湾の水質悪化などの影響でノリの収穫が減りつつあったこともあり、佐藤さんは遊覧船業の組合に所属して中古の船を購入、船長兼ガイドとして働き始めた。40代前半の頃に遊覧船を新造した佐藤さんはその後、62歳で引退するまで遊覧船でガイドを続けた。
70代からのライフワーク、まち歩きガイド
遊覧船の仕事を引退し、趣味のゴスペル活動や、塩竈の歴史を学ぶ勉強会などに参加していた佐藤さんだったが、70歳を過ぎて転機が訪れた。塩竈の歴史や文化の調査・研究活動をしていた「NPOみなとしほがま」が「ボランティアガイドの会」を立ち上げることになったのだ。佐藤さんは2007年2月、第1期「みなとしほがま町歩きボランティアガイド」として認定を受け、まち歩きボランティアを始めた。
「塩竈の歴史や文化を伝えたい気持ちと、老後に向けて足腰を鍛えたいという気持ちとね」と当時を振り返って笑う佐藤さんだが、それからすでに10年以上が過ぎた。「やってみたら、お客さんとの会話が楽しくて。今となっては、ボランティアガイドが私のライフワークですね」気の合うガイド仲間との付き合いも佐藤さんの楽しみの一つだ。
「仲間たちは、塩竈の魅力を伝えたいという同じ思いでつながっている。だから、一緒にやっていて楽しいし、刺激的なんです」
2017年6月に実現した「多賀城&塩竈まち歩き企画」も、若手のガイド仲間との協力で実現した。佐藤さんは遊覧船での経験を生かし、松尾芭蕉が塩竈から松島に至った海路を独自に研究し、参加者に伝えた。「若い仲間と一緒に、町の歴史や文化を継承していけるのがうれしい。毎日楽しくガイドしているから、健康でいられるんでしょうね」
次世代に伝えたいこと
佐藤さんには、塩釜市漁業協同組合の副組合長というもう一つの顔がある。佐藤さん自身はノリの養殖をやめたあと、小規模ながらワカメ漁を続けてきた。2011年の震災で自分の船を失ってから漁には出なくなったが、市内の学校給食で塩竈産のワカメを使う取り組みなどに積極的に関わっている。
「まち歩きガイドで神社や建物の歴史について話をするのも、日本一早採りの塩竈産ワカメについて子どもたちに話をするのも、根本は同じ。この町のこと、この土地のことを、若い人たちや子どもたちに伝えていくのは私たちの務めだと思っています」2016年。江戸時代の建築とされる勝画楼の取り壊しを、所有者である鹽竈神社が決めた(※)。
「塩竈の古い貴重な建物がどんどんなくなっていこうとしています。特に勝画楼は私が生まれた家のそばの馴染み深い場所であり、憧れの場所でもありました。歴史的建造物をはじめ歴史文化の保存・活用には困難もある。妻の理解と協力があって今の活動があります。ガイド活動を通して、貴重な建物や遺構を大事にしようという機運が高まるような、そんな役割を果たせたらいいなと思っています」
※インタビュー後の2017年6月下旬、塩釜市が神社から勝画楼を譲り受けて保存活用する方針が発表された。
text:加藤貴伸 photo:大江玲司 取材日:2017年6月7日
プロフィール
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- 佐藤 健太郎(さとう けんたろう)
- 1933年塩竈市生まれ。30代の頃から松島湾の島々を見学する遊覧船の船長兼ガイドとして活動。現在は「NPOみなとしほがま ボランティアガイドの会」に所属してまち歩きガイドをつづけるほか、塩竈漁協の役員として地元産漁獲物の普及活動にも取り組んでいる。
「NPOみなとしほがま」の活動についてはhttps://kurashio.jp/sanpo/npo-minato-shiogamaを参照