鈴木虎男

塩竈市街地や松島海岸あたりの被害をある程度軽減したのは浦戸諸島が盾になったからだと言われている。しかし、津波を迎え撃った島々では場所によっては壊滅的な被害を受けたことも忘れてはいけない。浦戸諸島の一つ野々島も、大きな打撃を受けた。野々島の区長である鈴木虎雄さんに当時の模様を語っていただいた。

みんなを高台に避難させたあと、経験したことのない大津波が来た。

鈴木虎男鈴木虎男さんは野々島の区長になって3年。もちろん、生まれも育ちも野々島だ。その人生の中でも経験したことのない大津波があの日、島を襲った。

「地震の後、島の役員たちは家族と自宅の安全を確認してから、消防ポンプ小屋に集まることになっていました。すぐに津波は来なかったものだから、市の岸壁を見に行ったあと、すぐ戻ってきて、消防団と、集落の端のほうから「高台にのぼってくださーい」と大声をあげて、みんなを高台に避難させたんです」。

島には一応防災無線が用意されていたはずだったが、地震の後しばらくしたらなにも聞こえなくなったそうだ。「情報はラジオだけでしたね。それも小さな携帯ラジオだけ。そのラジオから「5メートル」「10メートル」と津波の高さを知らせ、岩手県の宮古が10メートルと報じられた時には、これは大変だということで、みんなを高台に避難させたわけなんです。でも、その時はまだ、海は静かだったんですよ」

地震が来たら、まずは高台へ。慌てずに非難することで必ず命は助かる。

鈴木虎男この呼び掛けによって、避難は、第一波が来る前に完了していた。「そのうち、ゴ―という音がしてきまして、高台の下にあった消防自動車からなにから流されていきました。実際、高台から見る限り、目線の下に電線がわたっているが、そこに枯れ草とかが引っかかっていたから、10メートルくらいはあったと思いますよ」

避難した高台からほど近い山肌に、仙台や塩竈から新しく住み始めた人たちがいた。フラワーアイランドといって、去年からお店を開いて島を訪れるお客さんのためにコーヒー等でおもてなしする計画があったそうだ。「その矢先ですよ・・・。ほんとに残念ですよね。その場所の近くに大きな岩グラがあったんですが、その岩グラもろとも流されたので、今はえぐれて沼みたいになっているでしょう。ああいうふうに何もかも奪い去っていったんですよ。

昭和35年のチリ津波の時でも、ここは静かだったという。水路だけが膨れ上がって、水が溢れただけ。しかし、今回の津波は今までに経験したことのないような大きさだった。「しかし、津波がきても、決して慌てないことが大切です。それと高台!やっぱり高台なんですよ。これだけは、今回この津波を経験した人の頭にこびりついてるんじゃないでしょうか」

島に残る! この島で頑張る! その気持ちでみんなを励ましていきたい。

鈴木虎男高台の神社に避難してからすぐに行なったのは、人数の確認だった。「ここは、みんなが知り合いのところだからね。この家は何人住んでいるとか、日中に塩竈に働きに行ってる人は誰々、というふうに、みんなわかるから、誰かいなくなれば、すぐにわかるんです。そして、島民全員が、高台に避難して無事だったことを確認したわけです」全部で45世帯だった島も、今現在で35世帯。10世帯が、塩竈の街へ住まいを移している。

鈴木さんのご自宅も、床上1.5メートルの波が押し寄せ、全壊してしまった。「次の日見たら、まあひどかったですね。ドラム缶も家の中に転がっていました。でも私は、区長になったばかりで、その区長から逃げ出したのでは話にならない。だから、いち早く、大工さんにお願いし借金しながらでも、『この島に残る!この島で頑張る!だからみんなも付いてきてね』、という気持ちで、みんなを勇気づけられたらいいなと思っているんですよ。」

震災前から活動していたフラワーアイランドや明成高校の仙台白菜づくりなど、島は現在さまざまなプロジェクトの舞台になっている。「人の出入りが多くなれば、何かが開けてくるんではないか、と期待しています。ただ、島に子どもたちがいないのが一番の悩みですね。でも、若い連中が、花火大会などを企画したり、一生懸命なっていますので、そういう連中とも、今後いろいろ相談していきたいなと思っています。震災から1年半ほど経っていますが、塩竈市も一生懸命動いてくれている。役所の方に、おまかせできることはおまかせをして、私たちはこの島に住みながら、以前の島の暮らしに戻していきたいと考えています」

text:落合次郎 photo:大江玲司 取材日:2012年7月4日

プロフィール

鈴木虎男
  • 鈴木 虎男(すずき とらお)
  • 塩竈市浦戸野々島区長
  • 昭和13年、野々島に生まれる。仙台育英学園高校卒業。昭和32年より平成22年まで、50年以上も海苔の養殖業に従事。平成22年浦戸野々島区長に就任。現在、妻と長男夫妻と4人暮らし。御年74歳。