浦戸野々島・白菜生産者

浦戸諸島の菜の花は、離島という地理的特性を活かし純粋な松島系白菜の種を採るために他の植物との交配を避けるため大変な手間をかけて大切に育てている。その菜の花畑を大切に守り育てている鈴木はつみさん、渡辺ハル子さん、馬場キミ子さんにお話を伺った。

これまで経験したことのない揺れ、おばあさんの教えですぐに高台へ避難した

浦戸野々島・白菜生産者浦戸野々島で農家を営む鈴木はつみさん。彼女は震災のあった3月11日の午後、一人で自宅にいた。一緒に暮らす息子がいるが、塩竈の会社に勤務しているため日中は不在。地震で家の中のタンスは倒れ、ガラスは割れたが、幸い怪我はなかった。そして、揺れが収まると同時にすぐに高台の学校へ避難したそうだ。

鈴木さん「昔からの言い伝えというか、私のおばあさんから地震があったらまず高いところに登れというふうに教えられていましたからねぇ。それに、地震のすぐあとに雪が降ってきたでしょ。寒くてねぇ。心細かったですよ」そして鈴木さんは、学校に入ってからは島の人たちと肩を寄せ合い、励ましながら毎日を過ごしていたという。

その後自宅を見に戻ってみると、そこには唖然とする光景が広がっていた。鈴木さん「もう、全部持って行かれてた・・・。海が近かったから、何もかも持ってかれたの。石ひとつなかったものね・・・」

仲良し同士が支えあいながら、島の景観を守り育てていく

浦戸野々島・白菜生産者震災から一年、鈴木さんは島内の仮設住宅に入居。昔からの仲良しだった渡辺ハル子さん、馬場キミ子さんとも、昔から続けている菜の花栽培を通して支えあって助け合って暮らしている。

鈴木さん「私が菜っ葉をずっとやっているから、畑を貸したり、一緒に仕事をしたり、いっつもいっしょだよ」
馬場さん「そうそう、収穫のときの喜びはなんともいえないの。それを一緒に分かち合ってね。震災の後は土が海水かぶって大変だったんだけど、なんとかねぇ。今年の春の菜の花はほんとにきれいだったよ。道路歩くと花の香りが漂って、素敵だったんですよ。」
鈴木さん「仙台からもたくさん見に来たものね。だって、花が咲いたら、本当にきれいなんだもの」
馬場さん「私たちも、葉っぱが倒れないように工夫したりしましたよ。でもね、今回のことでだいぶ勉強させてもらったんですよ~。」

浦戸の菜の花は有名だが、そもそもなぜこのような島に菜の花が栽培されているのか、その理由を知る人は少ない。
鈴木さん「ここの菜の花は〝仙台白菜〟の種を採るために栽培されているのよ。明治時代くらいからだからもう100年以上になるわね

白菜というのは他の種類と交雑しやすいため、固定種の栽培はとても難しいものとされていた。そこで、純粋な固定種を守り育てるため、当初は浦戸諸島のひとつ馬放島に採種用の菜の花が植えられたのが始まりとされている。そして、固定化に成功し、仙台白菜が誕生したのだ。元々は明治時代の日清・日露戦争後、兵士らが中国から白菜の種を持ち帰ったのが始まり。大正時代になって松島湾の浦戸諸島で採種に成功したというわけだ。

たくさんの人の協力のもと、浦戸の仙台白菜が再び注目を集める

浦戸野々島・白菜生産者白菜のしたたかな生命力は、津波により海水をかぶった土壌でも栽培できるとあって、震災後注目され、農地回復のひとつの策として取り入れられているケースも多い。ここ野々島でも仙台市の明成高校の地域貢献活動として、「みんなの白菜物語プロジェクト」が行われ、「仙台白菜」の普及に向けた取り組みを行っている。

渡辺さん「それで仙台の高校生が手伝いに来てくれて、いろんなところの学校に、少量ずつ配って、育ててみてけさいん、っていう運動をやったのさ」
鈴木さん「ずいぶんたくさんの生徒さんが来てくれてよう。わざわざ、仙台から電車と船を乗り継いでさ。みんな船さ乗るのが楽しみってうんと喜んでたよ」
馬場さん「生徒さんたちと一緒につくるのは、楽しいんですよ。私たちも、ボケないですむっちゃね(笑)。やっぱり若い人はいいね、自分の娘のようだもん」

*インタビューの様子は動画でもご覧になれます。

text:落合次郎 photo:大江玲司 取材日:2012年7月4日

プロフィール

浦戸野々島・白菜生産者
  • 鈴木 はつみさん(すずき はつみ)
  • 昭和4年 塩竈市浦戸野々島 出身
  • 21歳の時に、野々島内に嫁ぎ、29歳の時に夫と死別。周囲の仲間に助けられながら海苔と牡蠣の養殖に携わってきた。菜の花栽培は震災で一旦中止したが、現在は仲良しの渡辺さんや馬場さん、そして明成高校の生徒と一緒に栽培を再開、生きがいを感じる毎日を送っている。
  • 渡辺 ハル子さん(わたなべ はるこ)
  • 昭和16年 山形県上山市 出身
  • 昭和44年に野々島へ嫁ぎ、海苔の仕事を17年間続けた後、自営業(鉄工所)を8年続け、漁師の仕事も経験。現在は以前からの趣味だった花の手入れや野菜づくりを行なっている。
  • 馬場 キミ子さん(ばば きみこ)
  • 昭和5年 宮城県桃生郡宮戸里浜 出身
  • 昭和27年4月、23歳で野々島に嫁ぎ、海苔と牡蠣養殖を約20年続ける。最近では野菜づくりをしながら鈴木さんの菜の花栽培を手伝っていた。