赤間善久

30年余、塩釜の地でフレンチを提供し続けてきたレストラン シェ・ヌーにも、あの日、津波は押し寄せた。自らも避難しながら炊き出しで人々の気持ちを支えたオーナーシェフの赤間善久さん。彼が感じた震災とは。そして、彼が考える〝塩竈の復興〟を語っていただいた。

いままで体験したことのないような揺れと不自由な暮らし

赤間善久3月11日の地震の瞬間、海岸通にあるレストランシェ・ヌーには、ランチタイムを楽しむ2組のお客様がいた。オーナーシェフの赤間善久さんは、あの時のことをこう語った。「あの瞬間はいまだに忘れられません。最後のお客様にご挨拶をしようと厨房を出た瞬間でした。とっさに脇にあったグラスの棚を押さえましたが、それよりも、自分が立っているのもやっとなほどでした。大津波警報も出たので、お客様を避難させてから、店の戸締りをして高台へ避難しました。やっと津波がひき始めたのが夕方5時くらい、店に近いところまで降りてみると、まだ水が引いていなかったので、第二小学校のほうに避難しました」

赤間さんが店に戻ったのはその翌日。店の周辺は流されてきた車やがれきで散々たる状態だった。レストランの建物は無事、壊されたものが少なかったのはラッキーだったそうだ。「店内は10センチ弱の浸水にとどまりましたが、ヘドロが残っていました。とにかく、ライフラインが復旧しないことには、開店できない。とりわけ、水が出ないのが一番辛かったですね。掃除ができませんから。近くを流れる川から水を汲んできたり、最終的には、海から水を汲んできて流したりしていました」

食の大切さを知っているからこそ、みんなのために炊き出しを

赤間 善久赤間さんらが避難した塩竈第二小学校には、500人くらいの人たちが避難していた。地震の翌朝は避難生活の準備が何もない、備蓄もほとんどないという状態。「朝食にラップに包まれたおにぎりが出たんです。これを見て、これは今後大変だなと感じました。その次の日にレストランに一時戻ったのですが、厨房の冷蔵庫の中には食材がいっぱい残っていたんです。そこで、ガスを貸してもらえるのなら、自分たちが炊き出しをしようと思いたったのです」最初は、とにかく温かいものをと思い、豚汁のようなものを作ったそうだ。しかし、避難所は500人という大人数。カップに半分くらいの量しか、行き渡たらない。「それでも、温かいものを少しでも口にすることができたのは、みなさんうれしかったようですよ。

そのあとも、炊き出しは2週間やり続けました。1日150~160食くらい作っていましたね」 4月に入ってからも、お店の再開準備をしながら、地元の飲食店のスタッフと共同で、炊き出しを行っていた。本格的な支援物資が入ってきたのが1週間を過ぎたあたりからだった。「ありがたかったのは、うちで取引している栃木県の益子にいる野菜の生産者の方が、取引先のレストランに働きかけてくれて、ストーブとかガス台、乾電池など、必要なものを2トントラック2台分持ってきてくれたんです。この行為は無駄にできないな、という思い、やれる限り炊き出しをやっていこうと思ったんですよね」

また、市内のお店では冷凍庫・冷蔵庫がだめになったケースが多く、その中にはまだ使える食材もある。それらはすべて破棄処分されるはずだったが、もったいないと感じたトラックの運転手の方が使ってくださいといって持ってきてくれたそうだ。「他にも、肉屋さんが冷凍肉5キロくらいのを7ケース届けてくれたり、四国から米を10俵くらい送ってくれたりとか。そういう善意の人たちがいっぱいいたのも印象深いですね。本当にみなさんのご厚意のおかげです。だからずっと炊き出しがやれたんだと思いますよ」

地産地消は、食べていただいたお客さんにその地域を好きになってもらうこと

赤間義久片付け作業も順調に進み、5月1日からお店を再開。それを機に、赤間さんは中庭にかねてから考えていた東屋を建てた。「今回の震災で特にお客様からお見舞い金をいただきました。気持ちのこもったお金だけに、無駄には使えないなという気持ちがありましたので、この機会にお金を使わせていただき、みなさんの気持ちも洗われるような願いを込めて東屋を建て、「大地と海」という意味のフランス語である「Terre et mer」と名づけたんです」

ブルターニュでは、いたるところに「Terre et mer」という看板があるのだそうだ。「その地域はメインが海なんですよね。大地があって海がある。地域の生活には、つねに、大地と海が切り離せない。もちろん食もその自然の恵みが育てたもの。地産地消というのは、複合的に、そこの地域の紹介もできるということなんです。そういうふうに地域がつながっていくんですよ。地域に根ざした食材で、料理も季節のものを使って地域のかけ橋になるようなメニューを今後たくさん手がけていきたいですね。そうすることによって、その地域が、よりまとまりのある、統一感が出てくるんだと思います。

ピンチをチャンスととらえ、震災よりも活気ある街に

最後に塩竈の今後について赤間さんに聞いてみた。「全く前のままに戻るということは有り得ない。震災前よりもいい街にならなくてはダメだと思うんです。ピンチはチャンスとよく言われますが、まさに今がその時なのではないんでしょうかね。行政にしても、街の人たちも、これをチャンスだととらえて、動いていけば、塩竈の活性化につながっていくと思います。

また、若い人たちが、どんどん街づくりに参加することも大事ですね。ということは若者が集まる街づくりをしていかなければならないということです。みんなが仙台に出ていってしまうのでは、ちょっとさみしいですよね。せっかく海という、恵まれた環境を従える塩竈。そのメリットを活かし、大切に考えていけば、もっともっと人も集まり活気ある街になるはずですよ」と、塩竈の未来を思い描きながら赤間さんは微笑んでいた。

text:落合次郎 photo:大江玲司 取材日:2011年12月7日

プロフィール

レストラン シェ・ヌー
  • レストラン シェ・ヌー
  • 住所:宮城県塩釜市海岸通7-2
  • 電話:022-365-9312 / FAX:022-367-7155
  • 営業時間:ランチタイム  11:30-14:00(ラストオーダー)
         ディナータイム 17:30-20:00(ラストオーダー)
  • 定休日:月曜、第3火曜(祝祭日の場合は営業)
  • 料金:ランチ 2,500円
       プリフィックス 3,900円 / 5,700円 / 8,500円
  • レストラン シェ・ヌー http://www.cheznous.co.jp/