相原健太郎

塩竈市北浜にある、三代続く相原酒店。津波をかぶりめちゃくちゃになった店を前に、三代目は商売をやめてしまおうかとも考えた。しかし、心配して駆けつけてくれる友人たち、片付けに手を貸してくれた人たち。その思いに、店を続けることで応えていきたい。これは、熱い思いで再開にこぎつけたストーリーです。

人と人、心と心とのつながりがあって、みんな生きていると感じました

相原健太郎地震の瞬間、相原健太郎さんは、北浜にあるお店の中で作業中だったそうです。「突然、今までに感じたことのない揺れを受け、立っていられない状態でした。商品はもちろん棚から落ち割れてしまい、ケースの扉もバタバタっと開き出して、周りから一斉に崩れ落ちてきました。津波が来ることはわかっていましたが、これまでの地震でもやはり少し水位が高くなっていたので、あの揺れの大きさだったらとんでもないものがくるのではと思い、すぐに逃げようと思いました。もちろん、店は心配だったのですが、海の方を見ないで高台の方へと避難したんです」

案の定、津波は相原さんの店を襲いました。その日の夕方に戻ってみると、店はまったくの水の中。家族で一生懸命やってきた店の惨状に相原さんは愕然としたそうです。

「3~4日目くらいでしょうか、やっと水が引き始めて、改めて店の受けた被害が明らかになりました。店の前には家が一軒、そしてトラックも突っ込んでいました。シャッターも破けていた状況だったので、なんとか中に入ることは出来たのですが、中はもう瓦礫の山で手が付けられない感じでしたね。」

諦めかけたお店の再開をたくさんの仲間たちが後押ししてくれた

相原健太郎高齢の祖父と祖母もいる、まず今日そして明日どうやって生きていこう。それだけでも不安なのに、あまりにひどすぎる店の状態を目の当たりにし、一時はお店を辞めてしまおうかとも考えたといいます。

「“やらない”というよりは“できない”という状況でしたね。祖父、祖母の代から築き上げてきたものが全て流されてしまったので…。最初の一歩を踏み出すまではずいぶんと時間がかかりました。

相原さんは、塩竈で生まれ育って、今日まで30年間塩竈で暮らしています。震災当日は、電話も通じる状態ではありませんでしたが、店に友達が自然と集まってきてくれたそうです。今回ほど友達のありがたさを感じたことはなかったといいます。
友達の助けもあって店の瓦礫もだんだん片付いていきました。やっと床が見えはじめたときに“もう一度ここでやりたいなぁ”と思えたんです。戻りたいという希望が少しずつわいてきましたのを覚えていますウチは爺ちゃん婆ちゃんと、母ちゃんと三人でやってきたんです。そこに親父と僕が入って。自分の代で商売が終わってしまうのはね…。」。

お店の復活と向かい合う上で、特に心を打ったのが友達や仲間からのあたたかい心だったそうです。「お店の冷蔵庫などは、仕方なく商売を辞めるお店さんから“僕たちはもう辞めるから使ってくれ”といただいたもの。商品の棚も、みんなの好意で貰ってきた物を少しずつ組み立てましたし、壁も自分たちで塗りました。冷蔵庫などはを買うだけでも500万位はするし、引き戸だけでも20~30万。不景気の今は、なかなか買える物ではないですよ。冷凍庫ももらって、棚も切って貼って、だから色も違うんですよ。商品のお酒も泥まみれでした。ありがたかったのは、店のホームページに全国から注文が来ていて、値引きしますからと言ったら、“何で復興のために買うのに値引きするんですか?”と言われたんです。普通スーパーに泥がついた商品が置いてたら“ちょっと店員さん汚いよ”となるじゃないですか。ほんとに、みんなの心が身にしみましたね」

手を貸してくれた人々のためにもさらに前へ進んでいこうと思った

相原健太郎商売をやっていると、周りよりも自分が頑張って一歩先へ出たい気持ちになりがちだが、今回の経験で相原さんは、みんなが繋がっているというイメージをもったそうです。「例えば、うちのお店だったら酒を仕入れる。お酒を仕入れる前には配送の人が居て、その前にはお酒が作る人が居て、その先をいえばお米を作ってくれる農家さんが居るんですよね。そういうことって、今まであまり意識してはいませんでした。今までは物が溢れてて、お金を出せばお酒も買えるし、食べ物も買えるし、港町なのでお魚も買えたんですが、その当たり前に買えてた物は、実は、そのスーパーなどには配送してくれるスタッフがいるんですよ。その先をいえば、物をつくる人や獲ってくる漁師さんたちがいる。今回はそれらが全部機能しなかったので、何ひとつ動かない状態だったんだと思います。今までの生活が色んな人と人が繋がって自分たちのところへ届いていたのだなと、すごく感じました。

震災から4ヶ月たった7月12日、相原酒店はもとの場所で復活を果たしました。しかし相原さんは元に戻るだけではなく、今までよりもさらに前に進めるかもしれないと感じているそうです。

「資金的な面では、正直大変なところです。しかし、いつまでも支援などに頼っていてはいけない、今までも自分たちで生活してきたわけだから、もとに戻るためには、自分たちの力で稼いでいかなければいけない。それが現時点での目標ですね。お店を再開してからは“やっとお店戻ったんだね”とか“頑張ってね”などとたくさんの人から声をかけていただきました。これからも、今までどおり接していただきたいと思っています。あと、もうひとつお願いできるならば、たくさんの人が塩竈に遊びにきてもらって、活気ある町を見てもらいたい。それにふさわしい町を僕らがガンバってつくっていきますから

text:落合次郎 photo:大江玲司 取材日:2011年6月29日

プロフィール

相原健太郎
  • 相原 健太郎(あいはら けんたろう)
  • 相原酒店
  • 1980年8月23日生まれ。30歳。東京都江戸川区小岩に生まれだが、その3ヶ月後にはすでに塩竈へ。自分では塩竈生まれ塩竈育ちだと思い込んでいる。高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。苦竹の駐屯地で2年間を過ごす。その後、日産自動車でメカニックを勤め、その後実家の相原酒店を継ぐ。店を継ぐ時母親に「こんなちっちゃな店を継いで井の中の蛙になることはない」と言われたが、大海に出た蛙が幸せだった話も聞かないからと皮肉をいって無視したそう。本人曰く「津波も海も嫌いだけど、それ以上に塩竈が好きなんで井の中で酒屋をやっていきます」
  • 住所:塩竈市北浜4-8-20 | 電話:022-362-5187