大江玲司

東京の写真スタジオ勤務を経て、現在は故郷・塩釜でフリーランスのカメラマンとして活躍中。全国紙や本ホームページの写真全般を手掛ける他、ワークショップのスタッフや今年の塩竈フォトフェスティバル実行委員会幹事を務めるなど幅広く活動をしている。

現在本業にしている写真の分野について興味を持ったのは高校生の時。

大江玲司宮城野高校普通科に所属していた大江さんは、高校の先生の助言を頂きながら独学で学んだのだという。「すでにそのころから将来やりたいことが決まっていた。『写真の仕事に就きたい!』って。でもきっと自分は学生をやるよりもすぐに社会に出て、働きながら学べた方が勉強になるんじゃないかと思っていた。」

早く社会に出るためにも、昼間は東京の専門学校へ通いながら、夜は撮影スタジオに通い詰める日々を送っていた。
その後は通い詰めた撮影スタジオでアシスタントとして働き、撮影の仕事をこなしていく日々を送ったが、決して楽なことではなかった。「3日間ずっとスタジオで作業して家に帰れなかった、という日もあった。けれども自分としては、毎日が刺激的で新鮮味ある事ばかりで、動き回る生活を求めていたから「やめたい」と思う事は全くなかったよ。」

東京の刺激、塩竈の平穏のなかで見つけた自分。

大江玲司しかし東京での生活を長年続けている内に精神的にも身体的にも体調を崩してしまい、塩竈へ戻ることを決めた。それからは体を治すために病院通いの日々だったという。「東京にいた時は毎日が刺激だらけの日々だったから、塩竈に戻ってきたときは正直つまらないなあと思った。ここで自分が何を見つけ、何をすべきなのかもわからなかったから、そこで1年くらいカメラから離れていたんだ。

そんな中、大江さんは塩竈を拠点に芸術活動する人々と出会う。ビルドスペース・ギャラリストの高田彩さんに出会ったのもちょうどその頃だった。「塩竈に戻ってきて初めて、ああこっちでアートの活動している人々がいるんだって、表現の形は違えども同じように表現活動している人々が塩竈にいたんだなあということを知ったんだ。」大江さんは、彼らとの交流を通して「20代前半まで東京で忙しく仕事をしていたから、もう少し自分を見つめるためにここで活動するのもいいんじゃないか、塩竈で過ごしながら写真を撮っていった方が自分のためになるんじゃないか」と考えはじめた。

塩竈に還元できる仕事をしたい。

大江玲司以後、現在に至るまで大江さんはフリーのカメラマンとして活動を続けている。写真の仕事を請け負いつつも、自ら好きな写真を撮り、展示活動も行っている。東京に戻っていたら、今のような活動は出来なかっただろうと大江さんは語る。「塩竈でマイペースで写真を撮る事ができたから、これまで活動することが出来たのかも。芸術の世界は競争の世界ではないからね。

塩竈で活動するアーティストの方々に出会うことが出来てとても感謝していると大江さんは言う。「塩竈に住んでいるクリエーターさんは土地を大事にして活動している。それは自分を表現するだけじゃなくて土地を愛して、その分、何かお返したいという意識なんだ。塩竈という土地に、自分が還元できる仕事をできたらいいなあと思う。」

拠点の塩竈から発信していけたらいいな!

今後は塩竈の内と外で活動しながら、撮影の仕事をしつつワークショップや自らの作品の撮影も続けていくという大江さん。近い将来、塩竈に自分の活動拠点となるスタジオを作りたいと考えているそう。「常々写真というものと向き合いつつ、塩竈から写真を発信していけたらいいですね。

text:小野智香 photo:大江玲司 取材日:2011年9月6日

プロフィール

大江玲司
  • 大江 玲司(おおえ れいじ)
  • 1984年塩竈市出身。日本写真芸術専門学校肖像写真科卒業。
    studio MOURIS/毛利充裕写真事務所にてアシスタントとしての勤務を経て、2006年、ZEROGRAPHICS設立。現在は宮城県塩釜市を拠点に東北・関東圏でフリーランスで活動中。