丹治史彦

時間が経てば必要な支援のカタチも変わる。ちょっとだけ現実から離れて空想の世界を飛んでみたいと思う人もいるだろう。東京で小さな出版社を営む丹治史彦さんは塩竈市出身。自分ができることをやりたいと思ってはじめた「一箱本送り隊」は、誰でも気軽に触れられる本を通して、被災地の人々の心の栄養を届けている。

僕と塩竈

丹治史彦僕が生まれたのは尾島町。小学生の時は剣道に通い、中学校のころは用もなくふらふらと、とにかく鹽竈神社辺りは好きで通ってました」と、丹治史彦さんに連れられていったのは、鹽竈神社の裏坂から脇に上がったところにある灯台跡だった。眼下には塩竈の街が広がる。「特に絶景というわけでもないのですが、なぜか落ち着く景色なんですよね。それと、僕が子供の頃、塩竈から七ヶ浜にかけて貝塚の発掘が盛んに行われていて、自分の生活の範囲に縄文時代の生活を感じさせてくれるものが存在するということに、子供なりにこの土地のリアリティを感じていましたね」

丹治さんは現在東京にて「信陽堂編集室」として小さな出版業を営んでいる。そもそも、丹治さんが本の世界に魅力を感じ始めたのが、まだ塩竈に暮らしていた小学時代だった。「単純に本が好きな子供でしたよね。でも、本にかかわる仕事というと、当時は作家のような書く人か本を売る人というイメージしかなかったので、自分の将来とはあまり結びつきませんでした。子供の頃、佐藤さとるさんという童話作家が大好きで、その方の作品が中学のころ文庫版で出たんです。そのあとがきで、彼はもともと編集者であったことを知り、本にかかわる仕事のひとつとして編集者になりたいという気持ちが芽生えていったんです」

その後、大学進学で塩竈を離れ、大小いくつかの出版社勤務を経てより自分らしい本との出会いを求め「信陽堂」を立ち上げたそうだ。

丹治さんは、震災の時、テレビに写った仙台市荒浜の状況をリアルタイムで見て、情報はなかったけれど、おそらく塩竈はダメだろうと感じたそうだ。その後、ある程度の気持ちの整理とタイミングを図り、自分を育ててくれた塩竈、そして宮城、東北のために、彼が仲間たちと行なったのが古本をひとつのダンボールに詰め被災地に送る「一箱本送り隊」という活動だった。

命の確保、生活の確保が優先されるのは当然ですが、 心にも栄養が必要です

丹治史彦「僕は今、東京の千駄木というところに住んでいまして、谷中・根津・千駄木、いわゆる下町なのですが、その辺は古本屋さんや本屋さん、僕らみたいな本づくりにかかわる人たちが多くいるんです。そういう人たちが中心になって、「一箱古本市」というものを7年前からやっていました。一箱のダンボールに詰めるだけの本を詰め、谷中・根津・千駄木界隈のお店の軒先に置かせてもらい、お客さんは街歩きをしながら古本市を見て回るというもので、町興しでもあり、本好きの交流イベントでもあり、回を重ねることで参加する人も随分多くなりました。いつしか日本全国いたるところでも始められるようになり、今では50ヶ所のべ100回くらいは行われています。そういうゆるやかなネットワークもあったので、この活動を生かした支援を、ということで今回「一箱本送り隊」を行なったというわけなんです。」

今回の震災では、図書館や学校も被害に遭い、本が流されてしまったところも多い。本が好きという人は、とにかく手元に本があり、それを見てるだけでも落ち着くというところもあると思う。でも被災地の人はそれすらかなわないというのが現状だ。「本好きの自分が、そういう状況に置かれたらどんなに不安だろうと思いました。もちろん本はお腹を満たしたり、生活に直接役にたつものではないけど、どこかのタイミングできっと立ち上がる力になる、つらい気持ちを和らげる栄養になるものだと信じているので、本を送りたいと思いつきました。」

改めて本が人に与えるエネルギーを再確認できた

「一箱本送り隊」は確実に本を手渡し出来るところに送る。塩竈では「ままのて」さんに協力いただいて、各避難所などで配布してもらった。「基本的に<いらなくなった本を出す>のは無しにしよう、本にかかわる僕らがやることだから、もらった人が喜ぶようなものを、きちんと僕らなりのフィルターをかけて、出来るかぎりニーズにマッチングさせて届けよう、ということを基本にしています。昨年くらいから、電子書籍などが台頭してきて、紙の出版も苦しい時代に差し掛かってきたと思っていましたが、やっぱり、自分の手元にある紙面からすうっとその世界に入り込める独特の感覚は、特に知欲が欠乏している方々には生きる希望を与えられると信じています。今回の活動で改めて本のもつ力というものを再確認出来たような気がしますね。

text:落合次郎 photo:大江玲司 取材日:2011年8月20日

プロフィール

丹治史彦
  • 丹治 史彦(たんじ ふみひこ)
  • 1967年宮城県塩竈市生まれ。仙台第一高等学校卒、リブロポート、メディアファクトリーを経て、2003年10月、アノニマ・スタジオを設立。2010年7月、妻の井上美佳とともに信陽堂として活動を開始。2010年、東京芸術学舎にて講座「食と暮らしを整える」を担当。震災の被災地に本を届ける「一箱本送り隊」隊長。
  • 関連サイト:一箱本送り隊HP | 信陽堂