宮本 卓

ハイエース一台でとりあえず塩竈に入ったのが、震災から約一ヶ月後。まだボロボロだった本塩釜駅前でカップラーメンをすすりながら、炊き出しをやった。そしてあれから1年半。すぺ〜す百貨の宮本卓さんは、ここまで元気になった塩竈を見て感動した。そして、これからもその輪の中に入りたいと語ってくれた。

何かしらの助けになりたかった。クルマ一台で炊き出しを開始。

宮本 卓すぺ〜す百貨は、撮影などでロケをする際、ロケ場所を探したりロケバスの貸し出しを行う会社である。同社のロケーションコーディネーター(ロケ場所をコーディネートする仕事)の宮本さんは、震災の約一ヶ月後に塩竈を訪れたという。
「もともと、平間至さんと親交があったので、そのつながりが一番大きかったですね。でも、現地の情報も当時はあまり無くて、とにかく何かの助けになればという思いで塩竈にやってきたんです」

4月とはいえまだ肌寒い頃である。「本塩釜の駅前がまだボロボロだった頃にハイエースをそこに停めて、外でお湯を沸かしてカップラーメンを食べながら…。そんな感じでやってました」。

その後、塩竈ガス体育館そばの避難所や七ヶ浜等、土地勘のある平間さんに教えてもらいながら、炊き出しをしてまわった。「当時、ボランティア活動をしたくても、何をしていいのかわからない人がいっぱいいたようですが、僕らは平間さんとたまたま繋がりを持っていたので、支援する側として活動させていただけたんです。貴重な体験だっただけにありがたかったですね」

ただ無我夢中で僕らにできることをやり続けた。

宮本 卓しかし、訪れる場所場所で見る光景は、宮本さんの創造をはるかに超えたものだったという。「家がなくなっちゃってね、って何もない土地を見ている方々や海を眺めている人がぽつんと立っていたり、僕らが踏み込めない感覚というものを肌で感じました。やっぱりあの当時は被災してどうしていいかわからない方々がいっぱいいて、それに伴って僕らも一体何をしたらいいのか、邪魔になるだけではないだろうかとか、そういう思いもありました。でも、もう無我夢中でただできることをやろうと、がむしゃらに動きまわりましたね」。

あれから一年半、今回のGAMA ROCKで久しぶりの塩竈入り。「だいぶ変わりましたよね、あの時と。来るたびに町が明るくなっているというか、しっかりと立ち上がっている人たちもどんどん増えているのがスゴイですね。お店が潰れて、また再生するのってものすごいパワーがいると思うんです。だから再開したお店自体がパワースポットみたいな感じ。そして、塩竈全体がパワースポットになっているなって感じもしますね」塩竈に足を運ぶたびにどんどん好きになっていくという宮本さん。「食べ物も美味しいですし、いいとこだよって、いろんな人に教えてあげたい街ですね

どんなカタチでもかまわない、これからも塩竈に関わっていきたい。

宮本 卓まだまだ、復興の途中段階でもあり、すべてが元通りにならないことも宮本さんは知っている。「そういう方々に言葉でどうこう言うのは、ちょっと難しいですが、元よりもパワーアップした塩竈っていうのをみんなでつくりあげていくために、僕もこれからも遊びに来ようかなって素直に思います。お魚を食べに来てもいいし、鹽竈神社にお参りに来るだけでもいい。元気が集まる場所をつくりあげるために、みんな塩竈に来るだけでいいじゃないですか。そのなかのひとりとして僕も存在できればいいなと思っています」。

Text:落合次郎 Photo:大江玲司 取材日:2012年9月22日

プロフィール

宮本 卓
  • 宮本 卓(みやもと たく)
  • 株式会社すぺ〜す百貨・ロケーションコーディネーター。震災後、塩竈をはじめ被災地にて数多く炊き出しを行う。
  • 株式会社すぺ〜す百貨
  • 東京都目黒区中町1-26-7
  • 03-5721-1831