黒田征太郎

塩竈市内の仮設住宅や復興市場で、様々な絵を描かれた『木っ端アート』プロジェクトを行ったイラストレーターの黒田征太郎さん。今回のGAMA ROCKではドラマーの中村達也さんとのジョイントで、ライブ・ペインティングのパフォーマンスもおこなった。「塩竈はスゴイ!」と語る黒田さんにお話を伺った。

僕は絶対行かないと思っていても、結局は自然に足を運んでしまったんです。

黒田征太郎東日本大震災が発生した時間。黒田征太郎さんは、九州・博多にいた。「申し訳ないけど呑気にプールで泳いでいたんです(笑)。その後、事実が明らかになっていくに従って、17年前の阪神淡路大震災の記憶が蘇ってきました。あの時は、被災地の神戸にしょっちゅう足を運んでいました。だから、衝撃ともいうべきああいう光景は、もう見たくないと思っていたんです。だから、今回は絶対に現地へは行かないつもりだったんですが・・・。」

もちろん、黒田さん自身、『被災地に行けば喜ばれることも知っている。』だが、そればっかりではないこともわかっている。「僕も歳なんでね。しんどいこともあるだろうし、変な話お金もかかりますしね」しかし、気がついたら黒田さんは東北に自然に足を運んでいた。気仙沼、南三陸、そしてこの塩竈へと。

「行くのは嫌だと言ったものの、あまりにも自然に来てしまったもので、これが素直な僕の行動なんだろうなって改めて思いました。いろんな所へ行こう、呼ばれたら素直に行こうと、この一年間だいたいのところは回りましたね」

活動のメインは現地の子供達と一緒に『木っ端アート』を展開すること。『捨てればただのゴミ!』というガレキの木っ端を子供たちといっしょに、街を彩るアートに仕上げていった。塩竈でも、仮設住宅や復興市場などで『木っ端アート』を展開。「塩竈では港の周辺で作業をしたんですが、僕は子供の頃から今に至るまで絶え間なく海が大好き。そういう場所でいい時間を過ごさせていただきましたね」

人間に不可欠な塩。それを作った塩竈は「エライ!」ですよ。

黒田征太郎それ以外にも、黒田さんが塩竈に心惹かれる要因があるという。「僕がこれまで、どうやってもかなわないと思っている職業が、お百姓さんと漁師さんなんです。この人達は僕たちの主食とおかずを作ってくれる人たちです。でも、両者とも現実的にはあまり報われてはいないような気がするんですよね。そういう人々が、それでも懸命に生きているこの塩竈の町というのはすごいと思います。だからこそエールを送りたいんですよね」

今回GAMA ROCKで描いた絵などは、消されても消されても再生していくような力強いパワーが感じられた。そういうイメージも「お百姓さんと漁師さんの自然と共生する姿。そしてそれらが作り上げた塩竈の町」を表現しているかのようだった。さらに黒田さんは「海がくれた海水を火で煮詰めて塩にした。そういうところでしょ、塩竈って。そういう意味では、もうアイ・ラブ・塩竈ですよ。だって、塩がなきゃ人は生きられないからね」

町の真ん中に神社があるのがカッコイイんです。

黒田征太郎そんな黒田さんに、塩竈の好きなところについて聞いてみた「まだ、そんなに親しくさせてもらっていませんので、具体的にココが好きというのは無いのですが・・・。でも、仙台からいつも電車で来るのですが、不思議な事に、仙台からこっち側、海の方に向かってくると、気持ちがワクワクしますね。それと、神社を中心に町があるでしょ。これがすごい。僕はどちらかというと無宗教なんですが、神々というのはあると思っているんですよ。人間の知恵を請うためにね。そういうことを昔の人は知っていた、だから街の真ん中に神社があるというのはかっこいいなと思います」

GAMA ROCKの前日、『平間至さんにあのやまちゃんの仙台屋食堂に連れて行ってもらったそうである。』「もう感動しました!ああいうお店が成立している塩竈っていうのはほんとにすごいの一言。嬉しくなって看板を描かせてくださいとやまちゃんに僕からお願いしました」近いうち、仙台屋食堂の建物に黒田さんの描いた看板が掲げられるのがとても楽しみである。

Text:落合次郎 Photo:大江玲司 取材日:2012年9月22日

プロフィール

黒田征太郎
  • 黒田征太郎(くろだ せいたろう)
  • 1939年大阪生まれ。1969年長友啓典とK2設立。1994年「野坂昭如/戦争童話集」映像化プロジェクト開始。2004年よりPIKADONプロジェクトを展開し、国内外でライブペインティング・壁画制作・絵話教室等幅広く活動中。2011年震災後、神戸・大阪・盛岡・南三陸町小倉にてポスターライブ(売上金全額寄付)。『火の話』(石風社)出版。仮設住宅の壁画制作を行う。2012年『水の話』(石風社)『怒る犬』(岩波書店)出版。