畑中 みゆき

塩竈市出身で、2002年ソルトレイクオリンピック日本代表のフリースタイルスキープレーヤー畑中みゆきさん。東日本大震災以降、大きな被害を被った浦戸諸島の復興に孤軍奮闘、チカラを注いでいる。その原動力は一体どこにあるのだろうか。

犠牲者を出さなかった島の人々のつながる強さと温もりに心を打たれた。

畑中 みゆき 震災から一年、浦戸諸島の桂島に拠点を構え、復興活動を行っている畑中みゆきさん。彼女自身、震災で叔父を亡くし、なおさら地元への思いを強くしたという「私がこのように動けている原動力というのは、やはり震災で叔父を亡くしたことが大きいと思います。叔父は、もし震災がなければその3日後に退職するはずでした。いつも『仕事を辞めたら、やっと自分の好きなことができる』と叔父は言っていました。やっと、その時間がくるはずだったのにと思うと、やりきれない悔しさが残ります。だから、叔父の分まで私ができることをやらなければと思ったのがまずひとつですね」

そしてもうひとつは、桂島の人々のつながりの強さ、あたたかさだった。支援活動の拠点に選んだのは浦戸諸島の中の桂島。この島は被害が大きかったとはいえ犠牲者を一人も出さなかった。そこに畑中さんは心を打たれたという。「震災の前年にチリ地震津波を経験したことで、あの大きな揺れであれば、絶対津波が来ると、みんなが思った。そこで、軽トラに島民を有無言わさずひっぱって逃げさせた。だから、誰も亡くなった人がいなかったんですね。さらに、当日はとても寒い日でした。その時にも、プロパンガスで海水を沸かして、ペットボトルにお湯を入れて、みんなに配ったそうです。それを聞いた時、『こんなあったかい場所がまだあったんだ』と思い、人間の本当の在り方を肌で感じたんですよね」

今、塩竈にいるのがとても楽しい。だから、こういう活動も続けていく事ができるのだと思う。

畑中 みゆき そう、思わせてくれた島民に恩返しをすべく、畑中さんは長期的な支援を心に決めた。オリンピックを経験した人は、継続的なプランニングをしながら。4年後のために動いていく。復興への力と、スポーツの力って、すごく似ていると畑中さんは言う。

「復興は10年も20年も先かもしれない。でも、1年ごとに目標をたてていけば、その成功失敗も把握しながら進むことができる。しかし、その動きが行政だけだとなかなかできない現状でもあります。それじゃ、私がひとりで、とにかくやってみようじゃないか、と、思ったんですよね。「も、やーめた!」って(笑)投げだすことはとても簡単で楽なこと。でも、継続してやりぬく力が少しでもあったから、私はオリンピックに出られたんだなって思うんですやっぱり。つらいこともありますけど、その何倍も楽しいから続けていられる。」

現在、拠点どころか『もうほとんど島の住民』と化している畑中さん。「船なんか乗っていると『あら、みゆきちゃ~ん』とかって声をかけられますね(笑)」

やはり、住んでみなくてはわからない現実もあるという。仮設住宅の雰囲気やプライバシーの無さ、その実情をもっと知ってもらいたいと話す。「どんどん復興しているとはいえども、すればするほど、また新しい問題が出てきます。しかし、もっと円滑に、みんながハッピーになれるような解決策があるはずなのですが、それにはどこかで我慢しなきゃいけない。そこをなんとかウマイこといかないのかな、と思っています」

島の現状を知ってほしい。そのためにも、“のりフェス”で楽しみましょう!

畑中 みゆき 「私はとにかく、島に来てもらって、この現状を見てもらったほうがいいと思うんですよね。とにかく来てもらって、各ボランティアツアーなのか、復興のお祭りに来て、そこにお金を落とす、っていうほうが、ありきたりだけれども一番。そしてこちらとしては来てもらうためにどうするかですよね。島に住んでる人たち、塩竈に住んでる人たちは考えるべきところだと思います」。

その流れの中、7月1日に開催する塩竈浦戸のりフェスティバルも畑中さんが中心となってプランを練り上げた。

「なんで海苔のお祭りにしたかというと、チリ津波と、東日本大震災の2回の大きな被害にあったのが、海苔の養殖業者さんなんです。その方々を応援したい、というところからスタートしたんです。さらに、島の人たちがこれまでボランティアさんたちに“ありがとう”を伝える機会がなかったので、“来てくれてありがとう。これからももっと島に来てください”という思いもこめたお祭りにしたいんです」

この『のりフェスティバル』。内容は盛りだくさんだ。島のお母さんたちが作ったのり巻きや塩釜の地酒などが振舞われ、海苔の新商品の新メニューの試食会、さらには島の歌『のりのりロック』『のりのりダンス』のお披露目もある。

「そうなんです。歌まで作っちゃいました! 作詞は塩竈の子どもたちのフレーズを、塩竈の文化大使である平間至さんとそのお友達でドラゴンアッシュのATSUSHIさんがまとめてくださいました。作曲は塩竈三中出身の松島在住のアーティスト佐藤達也さんにお願いしました。名づけて『のりのりロック』。もちろんATSUSHIさんには振り付けもしてもらい、歌って踊るナンバーに仕上げています。のりのりでおどって、のりのりで歌って、楽しんで、そのあとに、みなさんで一緒に撤収もやっていただきます!(笑)のでよろしく!」

Text:落合次郎 Photo:大江玲司 取材日:2012年5月24日

プロフィール

畑中 みゆき
  • 畑中 みゆき(はたなか みゆき)
  • 1975年塩竈市生まれ。塩竈市立第二中学校卒業。中学校時代はバスケットボール部で活躍2002年ソルトレイクオリンピック、2006年トリノオリンピックにモーグルで出場。その後ハーフパイプスキーに転向。国際大会では日本人女子初となる優勝ならびに表彰台を飾る。