
2024年夏、塩竈市杉村惇美術館の若手アーティスト支援プログラム「Voyage」で、音を主とした空間作品「汽水の幽霊」が展示されている。制作者の土井波音さんに話を聞いた。
田舎と都会、過去と未来が混ざり合う空間
展示「汽水の幽霊」の会場には大小16台のスピーカーが置かれ、土井さんが編集した音声が繰り返し流れる。波の音、ピアノやシンセサイザーによる音楽、東北弁や英語の会話、ナイトクラブの喧噪などさまざまな場面が、扉の開閉音や周回する列車の音で転換し、それに伴って鑑賞者は次の場面に移動させられる。
18分21秒の音声の中で、鑑賞者に最も明確に現在地を意識させるのが、本塩釜駅に到着する仙石線の車内アナウンスだ。今回の展示会場が塩竈であることについて土井さんはこう話す。「私にとって塩竈は、生まれ育った石巻という『田舎』と、仙台という『都会』が切り替わる場所。今回の作品は、私にとっての田舎を過去、都会を未来と位置づけ、それらが混ざり合う『汽水域』として構成しました」
幻想に取り憑かれる霊と、生者に添う霊
「汽水の幽霊」は、能の演目『融(とおる)』に着想を得たものだ。『融』は平安時代の貴族である源融(みなもとのとおる)が京都の自宅の庭に塩竈の風景を再現したという故事にちなんだ物語で、自身の死後に荒れてしまった庭に、融が霊となって現れる様を描く。土井さんは、かつて「田舎」に育ったことに劣等感を抱え「ここではないどこか」への憧れに執着した自分自身を、塩竈の風景への幻想に取り憑かれた源融の霊になぞらえつつこの展示を制作した。
また土井さんは作中で、愛犬フラの死を経た自身の変化について「悲しみは徐々に薄れていくものだと思っていたけど、悲しいままで生きていけるようになる、ということなんだと少しずつ分かった。悲しくなるたびに、フラがそこにいるような感覚になる。悲しいたびに、思い出して、寂しくなくなる。幽霊って、きっとそういうことなんだな」と語り、この作品における「幽霊」という言葉にもう一つの視点を提示する。
幻想も執着も、抱えたまま生きていける
田舎と都会、子どもの頃から続けたクラシックピアノとロンドンで没頭したクラブミュージック、「カッコ悪い」と思っていた東北弁と憧れた英語。それらの間を「幻想に取り憑かれ、幽霊みたいに」行き来してきた自分自身を「否定するのではなく、すくい上げる表現」として、土井さんは「汽水の幽霊」を制作した。
「誰もが、失ったものを引きずったり、亡くした人のことを悲しんでいるままだったり、『ここではないどこか』を求め続けていたりするかもしれない。だけど私たちは意外と、それらを全部抱えたまま現在を生きていけるのだと思うのです。この作品を通して少しでもそんな自分を受け入れ、会場に来るときと帰るときで塩竈の景色が少し違って見えるような経験をしてもらえたら嬉しいです」
Text:加藤貴伸 Photo:大江玲司 取材日:2024年8月10日
プロフィール
-
- 土井 波音(どい なみね/Namine Doi)
- アーティスト。1997年宮城県石巻市出身。2019年、ロンドンのUniversity of the Arts London Foundation Diploma 修了後、石巻に戻り2023年5月まで石巻のキワマリ荘にて「momo」を運営。その後、現代美術・音楽分野を中心に活動を続けている。自らの実体験や幼少期からある超自然的感覚をきっかけに、国内外の⺠話、童話、怪異などをリサーチする。シュルレアリスムの観点からサウンドインスタレーションとして表現することで摂理や既成概念を曖昧にし、現実の拡張を試みる。
- https://naminedoi.myportfolio.com/