塩竈神社の門前にある味のある旧い佇まいの店構え。ここが銘菓『志ほがま』で知られる「丹六園」だ。創業は享保5年(1720年)、現在の主人で11代目という塩竈の中でも老舗中の老舗で、代々受け継がれた昔ながらの製法で塩竈の古き良き味を守り続けている。
赴きある店先、中からはほんのり上品な香りが
まず目に付くのが丹六園のその店構え。木造・町屋造りの建物は、その材料のほとんどを江戸時代の建物から再利用したとされ、塩竈の町屋建築の特徴とされる軒下の出桁(だしげた)などもあった。昔ながらの頑丈な大黒柱のおかげなのか、震災にあっても建物本体は無事だったという。11代目丹野六右衛門さんは「丹六園の創業はおそらく1720年頃といわれていますが、当初はお菓子の商売ではなかったんです。廻船問屋といいまして、船を持ち、船頭や“かこ”と呼ばれる水夫を雇って漁に出し、穫ってきたものを、魚問屋さんに卸す。そういう船をまわす仕事をやっていたんです」
江戸時代、伊達藩では大きい廻船問屋が塩竈に7軒あり、丹六園はその中の1軒だった。しかし、船を持つということは、嵐に遭って沈んでしまえば莫大な借金を背負うことになる。そういうリスクも多分にあったそうだ。
「それで、7代目か8代目の時に商売が大変だったらしいんです。そして、9代目の時には第2次世界大戦の影響で商売が下降気味になってしまった。それを受けてお茶を扱うように商売を替えました。さらに10代目(六右衛門さんの父親)がうちの家系を調べていくうちに、昔先祖が伊達藩の御用菓子を作っていたことを知るわけですよ。初代が古梅園というお菓子屋の“六番目”だったらしいんですね。だから“六右衛門”と名乗ったというんですね。結局ここは神社の門前町なので観光客がいっぱい訪れます。やはりお土産や休憩などでの一番人気はお菓子なんですね。塩竈の保護政策を行った伊達綱村公が、神社を訪れた時に、『志ほがま』というお菓子を食べた、という記録も残っていますから」ということで、先祖の味をもう一度復活させようと、『志ほがま』を作るようになった。それが昭和25年のことだった。
天然記念物「鹽竈桜」を型どった塩竈を代表する菓子
『志ほがま』は、木型によって天然記念物の「鹽竈桜」が打ち出され、大崎産「みやこがね」を用いた上質のもち米粉と塩竈ならではの藻塩が使われた、口どけの良さと青紫蘇の香りが品格を醸し出すお菓子。製塩に使用された海藻を模した青紫蘇は天然栽培のものを使用しており、箱を開けると爽やかな香りが漂う。「『志ほがま』は昔、海の“藻”と、塩水の“塩”と、お砂糖の“糖”で、“藻塩糖(もしおとう)”と呼ばれていたんです。今でも、80歳・90歳くらいの方がいらっしゃると、『藻塩糖けさいん~』とお店に入ってきますよ。鹽竈桜は、この紋そのものが鹽竈神社の社紋にもなっています。けっこう、この型押しを手でやるのが大変な作業で、腰を痛める職人さんも多いと聞いています。私は、オリジナルの“てこ”を作ってもらったんです。これでだいぶ楽になりました。作りたての『志ほがま』は、まだ柔らかいので、一日置かないと箱詰めはできないんですよ」
丹六園では『志ほがま』のほかにも、『長寿楽』というお菓子も作っている。「昭和60年あたりから製造し始めたのですが、若い世代向け、何かできないかと考えていたんですね。それで、試行錯誤の結果、黒糖とクルミがいいと、出来上がったんですね。黒砂糖やクルミはミネラル分も多いし、名前の通り『長寿楽』というところですね」
時代が変わっても愛されるものを作り続けたい
『志ほがま』に型どられている“鹽竈桜”は実は昭和50年代に枯れてしまったそうだ。しかし、残った根から小さな芽が出て、それを生かして再度天然記念物にしたという。「9代目と10代目が鹽竈桜保存会の設立に関わりまして、なんとか桜の存続に成功しました。うちの『志ほがま』にはなくてはならない桜なので、自分も受け継いで守っていかなくてはならないと思います。そして、伝統あるこの『志ほがま』を作り続けていかなきゃいけないな、と同時に思っています。代々商売を続けてきた中にも、いろんなことがあったし、時代も変わってきました。その時代時代にうまく対応していくことが、伝統を守っていく秘訣のひとつだと思いますね」
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- 丹六園外観
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- 丹六園店内
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- ひとつひとつ丁寧に…
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- 黒砂糖を使用した「長寿楽」
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- 型押しに心を込めて
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- 凛とした姿に職人の姿勢が感じられる
SHOP INFO.
- 店名:丹六園
- (銘菓「志ほがま」謹製元)
- 住所:塩竈市宮町3-12
- 電話:022-362-0978
- 営業時間:8:30〜5:00
- 定休日:無休
- ・志ほがま(大)1100円
- ・志ほがま(小)600円
Text:落合次郎 Photo:大江玲司 取材日:2012年1月11日