内海偉紀

7月18日、塩竈みなと祭り。内海さんは神輿渡御の担ぎ手の中にいました。「20年ぶりに担ぐことになりますね」塩竈に住んでいたのは高校卒業まで。その後、塩竈を離れ大学へ進学。都内で仕事に就いたため、実家は塩竈にあるものの、自身の生活基盤はもうここにはありません。20年という歳月を経て、今、内海さんは震災からの復興を祈る神輿渡御の一列に加わっているのです。

震災を期に、埋もれていた塩竈を愛する気持ちが溢れてきた。

3月11日、午後2時46分。内海さんは東京にいました。職場で仕事の打ち合わせの時おそらく初めて体験する揺れに驚愕したそうです。

「これはやばいぞ」という感じでした。会社にTVがなかった為、情報はワンセグで得ました。そこで見た石巻や南三陸町、仙台などの惨状。おそらく塩竈もかなりやばい状況になっているのではと不安でした。故郷・塩竈はどうなっているのだろう、同級生や地元の友達にどうしても連絡を取りたくて、手を付けたのがTwitterでした。そして、しばらくしてからTwitterを確認してみて驚きました。塩竈出身者、そして塩竈に住んでいる人、さまざまなゆかりのある人たちのツィートがあふれんばかり書き込まれていました。

自分たちのふるさとを、離れている人たちが、こんなにもたくさん塩竈を心配している。自分一人では心もとないことも、これだけの人数がいれば何か出来るかもしれないと思ったんです」。これが「よみがえれ塩竈」の原点となりました。

離れていてもできること。離れていなければできないこと。

内海偉紀

よみがえれ!塩竈」プロジェクトは、塩竈に現在住んでいる者、塩竈出身者、塩竈に縁のある者、様々な塩竈を愛する者たちが、塩竈をよみがえらせたいというひとつの思いをもとにあつまったプロジェクト。

「震災後、とりあえず塩竈に入りました。実家の確認と街の様子を把握し、その被害状況を見せつけられ、復興のためには、この街にいる人たちだけではなくて、僕らのような外にいる人たちの力の集約が必要だと感じました。地元に残っている友人たちはいるものの、やはり塩竈を出て、日本全国で生活している人たちも多い。そういう人たちの力を集結すれば、より早い復興を実現できるかもしれないと感じたからです。僕自身、泥掻きなどのボランティアを一切やってないんですよ。それは、出来る人がやればいいし、逆に僕らしかできないことをやろうと思いました。最初は、現地で入手できない物資を首都圏などで集めて送ることを始めました。例えば、電気の復旧が遅れていた浦戸諸島にアウトドアメーカーの協力を頂き、ソーラーパワーのランタンを約200個を配ったり、東京の羽田あたりのリタイアした漁師さんから無償で漁船譲渡の情報をキャッチし、浦戸や他の沿岸部の漁船のニーズのあるところを繋いだりしました。」あまりにも大規模な震災であったため、完全な復興には長い年月がかかるはずです。だから、このプロジェクトも長いスパンで考えなくてはいけないと内海さんは考えています。

よみがえれ!塩竈」では、被災状況・復興状況・救援情報の発信、支援物資の収集・配分はもちろん、産業のPR・活性化など、その時々に応じた塩竈の復興に寄与する活動を行っていくことを目的のひとつに掲げています。

活気あるかつての塩竈を復活させるために。

戦後焼け野原になった街を必死の思いで復興した先人たちがそうであったように、今度は僕らの出番なのではないか、ということを内海さんは強く感じている。「もし、東日本大震災がなかったら、これほど塩竈に対して強い愛情を持てたかというと、あまり自信はないですね。震災以前、20年ぐらい前から街の中心部はシャッター通りになってしまっていたことも知っていました。昔の活気ある塩竈に戻すためには、ここがある意味、リ・スタート地点なのではないかって思っています。産業・教育・観光など、まだまだ塩竈はポテンシャルを秘めていると思います。何となく考えていたことをこのプロジェクトを立ち上げることで実践してみようという気になったんです」

実際、街の復興に欠かせない経済活動も、塩竈の物産を首都圏で販売させるルートを作ったり、幅広く流通させることで、塩竈にお金を落とす仕組みを考えていきたい。そのためには現地との情報交換も密にして、今何が必要なのかをリアルタイムで把握できるように効率の良いプロジェクトの構築を進めている。

月に一度は塩竈に帰って来ているという内海さん。5月の連休を境に、復興の進捗具合もぐっとスピードを増したと感じているそうだ。「でも、マイナス100がマイナス30になった程度。でも、僕たちの目指したいのはプラスマイナスゼロではなくて、あくまでもプラスなんです」

遠く、長く離れていても、心はいつも塩竈にある。“塩竈を愛する人”すべての熱い心が、昔の活気ある塩竈をよみがえさせる。その日は必ず訪れる、と内海さんは信じている。

Text:落合次郎 Photo:大江玲司 取材日:2011年7月16日

プロフィール

内海偉紀
  • 内海 偉紀(うちみ ひでのり)
  • 塩竈歴:高校卒業まで塩竈で暮らす
  • 現住所:神奈川県川崎市
  • 3月11日の震災の安否確認等でtwitter上等で知り合った、塩竈にゆかりを持つ仲間達と、震災直前の塩竈ではなく、活気ある街だった頃の塩竈へ、震災の被害から蘇らせようと「よみがえれ!塩竈」を結成。