中島佑太さんは、群馬県前橋市在住のアーティスト。彼と塩竈とのかかわりのスタートは、塩竈のアートスペース「ビルド・フルーガス」の高田彩さんとの出会いからだった。震災後、ボランティアとして泥掻きをしながら、アーティストとして何をすべきかを考えていた。そして、生まれたのが「ハコビ」だった。
殺風景な避難所に、少しでも人の心を和ませるものを置きたい。
「塩竈が被災している」テレビなどのニュースを見て中島さんは、塩竈はじめ、東松島、気仙沼、大谷海岸等、思い出の地である東北の街を気にかけていた。それは、彼がある時期に参加していた「3331ARTS CHIYODA」という東京のアートセンターでの活動を通じて、「ビルド・フルーガス」の高田彩さんやそこのワークショップで活動する松村翔子さんと知り合ったからである。「まず、塩竈の2人のことが気になりました。でも、あまりガンガンと連絡を入れるのも迷惑かと思ったので、とりあえず連絡を待とうと思いました。そのうち、「ビルドメンバー全員無事」という連絡が入り、とりあえずは安心したんですよね」その頃、高田さんは、ツイッターを再開して、文房具を集めて配る活動を行なっていた。それを見た中島さんは「若手の僕らもボランティアに行かなきゃいけないなと思い、まず1週間くらいひとりで塩竈を訪れました」
段ボール箱「ハコビ」が生まれた経緯
中島さんが塩竈にやって来たのは、基本的には被災した住宅の泥かきや被災者の支援など、単純にボランティアとして1週間やる、という心づもりだった。「その頃、東京ではアートで何かできないか、という動きが出始めていて、前橋のメンバーとも、アートでなにができるのか、アーティストとして何をすべきか、っていうのを集まってミーティングはしていたんです。でも僕は、まずは体を使って目の前の泥をどかすことが先だろうと自分なりの判断を下し、塩竈にやって来ました」
その後、高田さんとの再会を果たし、避難所に文房具を届けることをお手伝いしに行った時、中島さんは避難所の光景を見てあることに気がついたそうだ。
「ちょうどその時、停電していたこともあるのですが、避難所の体育館が薄暗く、何の彩りもなかったんです。届いた救援物資の段ボールは開けっ放しのまま置かれている。その殺伐とした空気を感じて緊張するというか、少し暗くなってしまいました。そういう暗い空気感を明るいものにできないかと、高田さんとも話し合った結果、段ボールをアーティストの手できれいなもの、彩り豊かなものにできないかな、という話になったんです。」
当時は、水が貴重で、なるべく手は汚せない。絵具に水を使えない、という状況。そこで中島さんは、前橋のアーティスト仲間に絵を描いてもらおうと思いついた。「活動場所として群馬大学を提供してもらい、水曜日に1回帰って、木、金で作って、土曜日に塩竈に持ってくるという経緯でしたね。あの速さは、今思えば良くやったなあ、と思いますけど(笑)それは、前橋のメンバーはじめ、まわりの方々の協力があったおかげであのスピードでできたんです」
「ハコビ」がきっかけで、塩竈のアーティストとの交流がはじまる
「ハコビ」の支援活動は、地元前橋の新聞やテレビで紹介され、塩竈の状況も全国の人に知ってもらうことができた。さらに、塩竈と前橋とアート交流がスタートするきっかけにもなったのだ。
大きな余震も続き、被災者の不安は計り知れない。「高田さんからも“作品を所蔵していることも不安”、という悩みを聞き、前橋で預かることを提案したんです。アーティスト同士として力になれないだろうかと。震災モードではなくて、通常の展覧会の準備をみんなでできたら、ちょっとでも震災前の日常に近づけるんではないかな、と考えたんです」
それが昨年8月に行われた地域間交流「でんでん虫と羅針盤」につながったのだ。「作品を預かる行為って、無責任な行為だと思うんですね。そこに目的を見出したかったんです。作品を公開することによって、前橋の人たちも、塩竈という街がどんなところで、こんな活動している人がいるんだよ。そういう人たちが被災したんだよ、という、“顔”が見えてくるようなきっかけになったらいいんじゃないかなぁと思っていました」
塩竈と前橋のキャッチボールが始まった。
展覧会の時に、これをきっかけにもっと長期的に取り組むことはできないかな、と中島さんは考えた。彼がやってきたことは、アートやワークショップを通して、人と人、地域と地域、地域と人をつないでいくようなプロジェクトだったからだ。「それから先は“僕にできること”になると思いました。前橋と塩竈との地域間交流を生み出すプロジェクトをこれからはやっていこうと思っています。」
中島さんが今、そのプロジェクトに期待していること。それは、お互いの交流の中で、お互いの街の個性がもっともっと高められることだ。「アートのプランだったり、アイデアの面白さというのは自分ひとりで考えるのはけっこうしんどい。そこに人が関わってくると、いままで感じなかった発想に気づかされることがあります。
塩竈は塩竈の発想力やイメージを持っていて、前橋は前橋の力を持っている。自分たちの持っていないアイデアを、自分たちのアイデアとかぶせられた時に、ものすごく面白くなる可能性を秘めているんですよね。だから、前橋だけではできないこと、思いつかなかったことができるんではないか、と期待してるんですよ」。考え方のエッセンスが微妙に違っているところもすごく面白しろい。それを刺激にしてもっとアイデアとか混ぜていきたいと考えているそうだ。最後に中島さんは好きな野球をモチーフに目指す交流のイメージを語ってくれた。
「塩竈と前橋で、キャッチボールしたいんですよね。一球投げ合うだけじゃなく、“投げ返していいよ!”ってね。それがワンバウンドだったりどっかに反れていっちゃったり、どこにに飛んでいこうが、拾いに行ってちゃんとまた投げ返す。そういうキャッチボールを今後も続けていけたらいいですね」。
Text:落合次郎 Photo:木暮伸也、中島佑太、大江玲司 取材日:2012年1月16日
プロフィール
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- 中島 佑太(なかじま ゆうた)
- アーティスト。1985年群馬県前橋市生まれ。2008年東京藝術大学卒業。小学生から続けてきた野球の経験をもとに、集団スポーツの中にあるコミュニケーションを手がかりにして、他者との協働によるアートプロジェクトに取り組んでいる。前橋市在住。