えびすや

平成25年5月、マリンゲート塩釜に、本場大阪のたこ焼きを提供する「えびすや」が市内旭町から移転オープンした。塩竈に出店した経緯、そして塩竈の街の魅力について、お店を切り盛りする猿渡孝彦さんにお話を伺った。

本場大阪のたこ焼きで異文化交流?

えびすや平成22年2月に、本場大阪の味を掲げて仙台市内にオープンした「えびすや」。売上も順調で同年暮れには仙台市内に2店舗目を出店。さらに、平成23年の春に塩竈店をオープンさせる予定だった。「さて、いよいよ塩釜店オープン直前だ、という最終打ち合わせの日にあの震災が起こったんですよ」と話すのは、店長の猿渡孝彦さん。

「震災の前までは、商売商売って、かなり気張って展開していたのですが、その日を境に気持ちが萎えかけましたね。仙台の2店舗を閉めることにして、塩竈店は乗りかかった船だったので、やりなおすという意味も込めて、オープンさせたんです」

周囲からは『なぜ塩竈にいるの?』とよく聞かれたそうだが、自分たちでもその答えははっきりと見いだせないままのスタートとなった。「大阪からは『帰ってきたらええがな』と言われたのですが、僕らはこっちで震災を経験しているし、被害や復興に関しての大阪との温度差も強く感じたんです。やりかけたことを放り出して逃げたくない、そんな気持ちがあったんやと思います

一緒にがんばる空気に交ぜてもらった。

えびすや旭町で店を開けて1年半。諸処の事情で移転をしなくてはいけなくなり、マリンゲート塩釜で新たな一歩を踏み出すことになる。「今は、自分たちがやっていることの意味っていうのをしっかり持てている気がします。すごい前を向いているという感じ。震災があって、塩釜の街に住まわせてもらって、この街の良さっていうのがすごく見に染みたんです。知り合いなんてひとりもいなかったのですが、一緒に頑張っていこうという雰囲気に交ぜてもらえたような感じですね」

震災の後にオープンしたえびすや塩釜店。ここまで続けてこられた秘訣を「大阪、尼崎、東京、徳島にいてる親、兄弟、子供に至るまでの支えがあって続けられてるんです。」と猿渡さんは家族への思いを語る。

本場大阪がモットーの「えびすや」のたこ焼き。それを食べてぜひ元気になってほしいと猿渡さんは言う。「大阪を一歩出るとたこ焼きに対する感覚がぜんぜんちゃうんです。この店は大阪のたこ焼きを楽しむというのがコンセプト。大阪の食べ方っていうのは、とろとろの中身をソースとからめながら、少しずつ食べるんです。だから、器が汚くなればなるほど楽しんで食べたなって感じ。下げられた皿を見てそんな感じだったら嬉しくなっちゃいますね」これはもう“異文化交流だ”と猿渡さんは意気込む。

「商売も大事ですが、いまは楽しむことが優先。勝手に塩竈と大阪を繋げたいなって思ってるんですよ」

古いものを大事にしつつ、新しいものを生み出していく街に。

えびすや「鹽竈神社のほうから海を見るという景色が有名ですけれど、僕は逆にマリンゲート塩釜の展望台から山の方を眺めるのが好きですね。地元の人もあまり気づいてないと思いますが、山の所々に住宅があったりするのが、とても魅力を感じますね。塩釜の独特の風景だと思いますよ」それは、街の性格も文化も違う場所からやってきた猿渡さんならではの視点だ。さらに、これからの塩竈について猿渡さんはこう続ける。

「歴史だったり、食だったり、良いものはたくさんあるけれど、地元の人たちが楽しめるようなものがちょっと少ない気がします。そういう場所がひとつでも増えていったら、もっと元気になるのかなと思いますね」また、もっと個人のお店が広がっていけば楽しくなるのでは、とも考えている。「街として、新しい物があるということは古いものだってもっと価値が上がっていくと思うんですよね。だから新しいお店がバンバンとオープンして、街を元気づけてほしいですね。これは、震災後のまちづくりのヒントにもなっていくと思いますよ」

Text:落合次郎 取材日:2013年6月26日

プロフィール

えびすや
  • えびすや
  • 兄:猿渡忠之(さるわたりただし)-左-
  • 弟:猿渡孝彦(さるわたりたかひこ)-右-
  • 「兄弟でも性格が全然ちゃう」というお二人。7歳違いだそうだが、「どっちがお兄さんなんですか」と聞かれると弟の孝彦さんはとてもショックをうけるそうだ(笑)。