Caravan

Caravanが初めて塩竈を訪れたのは、2011年4月17日、旧ロイヤルホームセンター塩釜店駐 車場で行われたライブだった。とにかく笑顔にしたい。それも音楽で。という呼びかけに 応えたカタチだった。そこから1年半、Caravanが見た現在の塩竈とは。

とにかく音楽でみんなを笑顔にしたい、その思いに応えて塩竈へ

Caravanいち早く現地に入った平間至さんから、『街がもう変わり果てていた』という話を聞いて 衝撃を受けたというCaravan。もちろん、自分としても何かできることがあったらなんでも したいと思っていたそうだ。「その後、平間さんから、『とにかくみんなを笑顔にしたい、それも音楽で』という話を持ちかけられたんです。しかも、ろくな設備も機材もない、丸裸で生声だけどいいかなって。僕はこれまでも全国を旅しながら歌っていたので、そんな状況は全然オッケーだったので、むしろそれだったら行きたいと思い、そのライブに参加しました」

4月17日のロイヤルホームセンター駐車場でのライブは、もう半ば伝説化している。ATSUSHIやキャンドル・ジュンらのパフォーマンス等とても幻想的であり、塩竈に力強いメッセージを与えた夜でもあった。「その時間をみんなと共有できたことはぼくにとって、とても有意義でした」事実、その後のライブでも電気を使わずキャンドルだけで開催したそうである。

大好きな海がつなげてくれた。浦戸諸島へのワンボックスワゴン寄贈。

Caravanその後、仙台までは来ても、なかなか塩竈までは足を伸ばせなかったそうだが、心の隅には塩竈のことが常にあったという。「ライブの売上を寄付しようと思っていたのですが、 実際集めてみると、果たしてお金で渡すのがいいのかとか、どこに届けたらいいのかとか、いろいろ考えちゃって、のびのびになっていたんですが、ある時に、塩竈の沖合にある浦戸諸島の復興が遅れていると聞いたんです。しかも、いまだ買い物にいくクルマもないということだったので、その島にクルマを贈ることにしたんです」。そして、島で津波から沢山の人を救ったというワンボックスワゴンを寄贈した。いまでも、貴重な島民たちの足として活躍している。

震災が僕の心に東北の心を植えつけた。これからも、みんなの元気を僕のパワーに。

Caravan「今回(GAMA ROCK)、また塩竈にやってきて、町も綺麗になっていたし、なによりみんなが元気になっていたことがうれしい」とCaravanは話す。

「ただ、宮城県でも閖上とかはまだ何も進んでいなかったりする状況があるじゃないですか。そういう意味ではすごく長い復興になるんだなって改めて思います」また、震災がなければ、こんなにも東北を 身近に感じることができなかったとも話す。「もう亡くなった俺の祖母が山形にいたのですが、それでもあんまり足を運ばなかった。まあ、ライブではいろんなところにおじゃましたのですが、特別な思いは感じなかった。

しかし、逆にあの震災があって、実際の距離ではなく、気持ちの距離みたいなのがぐっと近づいた感じがします。東北の人の顔がすごく浮かぶようになったし、知っている町も増えた。そういう意味では自分にとってあの震災はすごく意味のあるものだったんだなと感じているんです。だから、またこうやって来ることができてほんとに嬉しいんですよね」。

Text:落合次郎 Photo:大江玲司 取材日:2012年9月22日

プロフィール

Caravan
  • Caravan(キャラバン)
  • 幼少時代を南米ベネズエラの首都カラカスで育ち、その後転々と放浪生活。全国を旅しながらライブを重ね、活動の幅を広げてゆく。2004年4月インディーズデビュー。2005年 メジャーへ移籍。2011年までの間、年に一枚のペースでアルバムを発表。2012年プライベートレーベル”Slow Flow Music”を立ち上げた。多くの来日アーチストのオープニングアクトや共演を果たし、YUKIやSMAPへの楽曲提供も手掛けている。1974年10月9日生まれ。