
1945年生まれの米谷さん。長年勤めた建築の仕事を退職後、本格的に絵画の道を歩み、地域の風景を描き続けてきた。今回、一つの大きな節目となる展示を終えたばかりの米谷さんに、絵を始めたきっかけや塩竈の街への思い、そしてこれからの創作活動について話を聞いた。
始まりは、高校時代に出会った「塩竈の乗船場」
—— 小学校の時に塩竈に移り住まれたそうですが、当時の街の印象などは覚えていますか?
米谷:実は、最初に来た時のことはあまり覚えていないんですよ(笑)。ただ、小学校の頃から絵を描くのが好きで、先生に指導してもらいながら色々な展覧会に出させてもらっていました。塩竈に来てから、本格的に描き始めたように思います。
—— 当時はどのような絵を描かれていたのでしょう。
米谷:自転車に乗った絵だとか。やっぱり塩竈という港町に来たことで、自然と船を描くことが多くなりましたね。
—— その後、中学、高校でも手を動かし続けられたのですね。
米谷:高校の時に美術部に入りましてね。当時、石巻から通っていた鈴木さんという先輩と一緒に絵を描いていました。指導してくださったのが、岩沼出身の画家の志賀先生でした。本職は建築の先生だったのですが、本当に先輩や先生などの人に恵まれたなと思います。 その指導を受けて、高校3年生の時に描いた塩竈の乗船場の絵が、県の高校美術展で最高賞をいただいたんです。それが、私の絵の原点、スタートラインのようなものでした。
—— その頃から、写実的に細かく描写されていたのですか?
米谷:最初は先生から「ペインティンナイフを使って絵の具をなるべく塗りつけるように」と指導されたんです。そこから徐々に、筆を使って細かくしていくような描き方に変わっていきました。少しずつ試しながら変化して、今の表現に辿り着いたという感じです。
40年の会社員生活を経て、再び向き合った「船」と「建築」
—— 高校卒業後は、地元の美術展などにも出品されていたのですか?
米谷:いえ、高校卒業後は建築会社に就職したので、東北各地を転々として歩いていました。会社員を40年ほど続けている間は、あまり数は描けなかったですね。 でも、会社を卒業(定年退職)する頃から、また本格的に描き始めて。河北展や塩竈市の美術展に出品するようになり、ありがたいことに入賞や入選を重ねていくことができました。
—— 描くことに夢中になられていたのですね。作品のモチーフや題材はどのように決めているのでしょうか。
米谷:やっぱり船が主体ですね。船や、乗船場。風景を見た時に「ここがちょっと変わっているな」「面白いな」「ここを強調したいな」と思いながら、絵の構造を考えていきます。
—— 同じ場所を何度も描くこともあるのですか?
米谷:毎回違いますね。旧えびや旅館のような建物や構造物を見ると、そこに惹かれて描いたり。
—— 建築のお仕事をされていたからこその、構造的な視点ですね。
米谷:今は改築されて変わってしまった建物も多いですが、街の姿を、絵として記録しておきたくて。
大きな絵からの卒業、そして「蔵王写生会」での新たな一歩
—— 今回の展覧会「絵画から思い出すまちの記憶」では、たくさんの大作を出品していただきましたが、振り返ってみていかがですか。
米谷:自分の中で、年齢的にも体力の限界が来ているなという意識があったんです。自宅の2階の子供部屋をアトリエにして、50号や80号といった大きなキャンバスに描いていたのですが、もう2階までの上げ下げができなくなってきて。階段から転んだら大変ですから(笑)。 「今年でこういった大きい作品はやめよう」と思っていた、ちょうどそのタイミングだったんです。たまたま娘が、「大きな絵を描き納める節目なら」と、市内の飲食店「ごはん屋はれ」で展示を開いてくれて。そこからこの美術館とのご縁につながり、お誘いいただきました。最後の最後にふさわしい、素晴らしい展覧会になったと感じています。本当にいいタイミングで展示の機会をいただいて、人生の節目、締めくくりになりました。
—— 今後はサイズを小さくして、小作品を続けていかれるそうですね。どのような絵を描いていきたいですか?
米谷: 毎月1回、「蔵王写生会」という80名ほどの絵画サークルの例会があるんです。これからは自分の車ではなく、バスに乗ってみんなで移動できるので、行きやすくなりました。今後はその活動一つに絞って、その時々の場所に基づいた風景をしっかりと残していきたいなと思っています。
塩竈の人々へ —— どこを描いても絵になる街
米谷: 塩竈はね、どこを描いても絵になる街なんです。とくに鹽竈神社なんかは、どこを切り取っても本当に素晴らしい。これからも、そういう塩竈の絵を残していきたいなというふうに思っています。
聞き手:高田彩 撮影:松山隼 取材日:2026年6月16日
プロフィール

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- 米谷泰洋 よねや やすひろ
- 画家。1944年 宮城県岩沼市生まれ、1954年から塩竈市在住。仕事で建築に携わり、塩竈の地理、産業および文化的に特徴的な場所を選び、油彩による卓越した明瞭な描写によって、地域の風景を描く。これまでに塩竈の漁港や船、鹽竈神社などを多く描いてきたほか、仙台近隣の山などの風景も描いている。塩竈市美術展や河北美術展等への入選多数。
- 1944年 宮城県岩沼市生まれ
- 1954年 小学校3年生のときに塩竈市に移住
- 1962年 仙台工業高等学校卒業(高校美術展最高賞受賞)
- 1962年 (株)錢高組入社
- 2002年 (株)錢高組退社
- 2002年 第67回 河北美術展 賞候補初入選
- 2005年 (株)スキルメイト 設立
- 2011年 3.11 東日本大震災 大津波被害
- 2019年 (株)スキルメイト 解散
- 2026年 現在に至る
