今野深泉

2018年2月、塩竈市杉村惇美術館で「今野深泉傘寿展」が開催された。16歳で書道を始めて65年。書家・今野深泉さんに、書との付き合いについて語ってもらった。

書に打ち込み、師と出会った。

今野深泉今野さんは昭和12年、宮城県の大川村福地(現在は石巻市の一部)に生まれた。幼い頃から字を書くのが好きで、炉ばたの灰に火箸で書いては消して遊んでいた。高校生の時に宮城野書人会に入門して本格的に書を始め、同級生らが遊んでいる間も書に没頭した。宮城県内で多くの門下生を抱える書家・青木喜山の名も耳にしていたという。

高校を出て自衛隊多賀城駐屯地で働き始めた今野さんは、「書を続けなさい」という上司らの言葉に励まされて書き続け、駐屯地の展覧会で最高賞を獲得した。そしてそれから10年後、ある書家が今野さんに声をかけた。

「10年前の展覧会、今野さんの作品を審査したのは私だったんだよ」今野さんは、生涯の師となる青木喜山とようやく出会い、教えを受けるようになった。

塩竈市美術展は大切な場所。

今野深泉今野さんの師・青木喜山は地域で開かれる展覧会を重視し、1960年から1987年まで塩竈市美術展の審査員を務めた。今野さんは当時の師とのやりとりを振り返る。

「私は全国規模の書道展に出品しようと準備していたんですが、『地元に立派な展覧会があるのにどうして出品しないのか』と青木先生に言われたんです。地元を飛び越して中央を志向するような姿勢を嫌う人でした。塩竈市美術展のような地域の展覧会が続いていくことの意義を強く感じていたんでしょうね」

今野さんは1971年、塩竈市美術展の最高賞である「塩竈市公民館賞」を受賞。これ以降、「ますます書が面白くなってきた」のだという。そして1988年からは、師のあとを引き継いで審査員となり、30年が過ぎた今も審査員として美術展の振興に尽力する。

「70回という歴史のある、とても貴重な展覧会。それをいかに大事にしていくか、我々には責任があると思うんです」

傘寿を迎えて、次の一歩を踏み出す。

今野深泉「書くことが好きだから続けてこられたし、そして今がある。私の生涯にとって、書は命ですね。傘寿の今、それをひしひしと感じますよ」
傘寿展の開催中にそう話す今野さんは、こう続ける。

そしてもうすぐ81歳。1だから、また新たな出発ですね。書の道はとても奥が深いから、書き続けないとわからないことがあります。だからやめられないんですね」

今回の傘寿展に、今野さんが良寛の歌を書いた作品が展示された。この作品からは、書の道を歩き続ける今野さんの思いが溢れているように見えた。

「いかにして誠の道に叶ひなむ千歳の中の一日なりとも」

text:加藤貴伸 photo:大江玲司 取材日:2018年2月23日

プロフィール

今野深泉
  • 今野 深泉(今野 栄一)
  • 昭和12年5月21日、石巻市河北町(桃生郡大川村)生まれ。昭和29年宮城野書人会(主幹 加藤翠柳先生)入門。青木喜山、かたわら末永雲学、菊田翠谷、大和小舟の教えを受く。社団法人全日本書道連盟正会員、社団法人宮城県芸術協会会員、財団法人書道芸術院展常任審査会員、河北書道展審査会員、塩釜市美術展審査員、塩釜市教育功績者、多賀城市美術展審査員、宮城野書人会本部同人、宮城野書人会顧問、書学社主宰。毎日書道展、河北書道展、宮城50人展、60人展、萬葉書画展、宮城書作家中堅展、宮城秀作美術展、全国自衛隊美術展、東北方面美術展、駐屯地美術展、国家公務員美術展、塩釜市美術展などに出品。
    書道芸術院展ホープ賞、河北書道展連続3回特別賞、塩釜市美術展最高賞、国家公務員美術展運営員会賞、全自衛隊美術展文部大臣賞及び審査員特別賞、東北方面美術展総監賞、駐屯地美術展最高賞。多賀城市市政功労賞。

    その他、近代詩文四人展出品及び百選出版(池田和京、菊田翠谷、今野深泉、大和小舟)。第一回河北中国書道芸術交流の旅、社中展8回、個展1回(作品集発行)。宮城県貞山高校非常勤講師、青木喜山遺墨展実行委員長、多賀城市選挙管理委員及び委員長などを務めた。